いまむうブログ

ほぼノンフィクション。面白さは保証できません。

リトルカブに乗ってどこまでも 第1夜

東京に憧れて上京した19歳。
東京から逃げた23歳。

2012年4月。午前6:00。東京。JR中央線の国分寺駅から徒歩5分。後輩の下宿を後にした。メガネは曇り吐く息は白い。登山用の馬鹿でかいバックパック。防寒用の全身黒カッパ。185cm、80kg、B型しし座、今村義則。異様な出で立ちは、月の輪熊級だ。いや小月の輪熊か。推定合計100kgの熊男はホンダカブシリーズでも最小のリトルカブちゃんにまたがった。質量をゆっくりと受け止め車体は10cmほど沈んだ。超不機嫌そうに、ローギアに入ったドスの効いた声を、ゴッゴッゴッと地面に這わせながら、グングイィンと乱暴に進み出した。熊の体は急発進に置いていかれて、後ろのめりになった。丸目のサイドミラー越しに映った後輩は寒そうにしている。見送る姿はどんどん小さくなって消えた。目線を上げてスピードを上げた。左ひざを上げ、ギアをガチャコンガチャコンと強く蹴った。これが東京での最後の記憶である。

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僕は大学生活のほとんどをパーにした。写真をパシャパシャと撮りまくっていた訳ではない。台無しにしたという意味でのパーだ。大学生だったがビジネスで成功したいという中二病のような気持ちを持っていた。経済力が自分の人生の幸不幸を決めるのだという考えを持っており、お金で困った大学生活の中でコンプレックスとして結晶化されたのだ。本人は自分を特別の様に思っていたが、そこらへんのタピオカミルクティ飲んでる大学生とあまり変わらない。決してタピオカミルクティに恨みがあるわけではない。どちらかというと好きな方である。嘘をついた。大好きである。人生を生き急ぐコンプレックス大学生ちゃんは、社会に牙を剥かれることになった。まあ当たり前の結末に自ら飛び込んだ訳である。

大学3年の夏。ミクシィで繋がった自称天才ビジネスマンという詐欺師にまんまと騙されたのだ。ミクシィとは今で言うFacebookのようなSNSサービスである。コミュニティに特化したサービス展開が売りで、全盛期ほどではないが、当時学生の間では生き残りユーザーが割といたし、僕もその1人だった。今となっては出会い系SNSのようになっているが、僕もミクシィを通して詐欺師と出会ったわけである。

ボスと呼ばれる60歳くらいの彼は、自由が丘にある小さなブティックをアジトとしていた。そこに出入りする店長と店員を合わせた3人でチームを組んで表ではブティックをやり、裏では人を騙して金を巻き上げていた。

彼らは僕にビジネスを教えてやると言って、次第に僕の周りの人間関係を壊していった。次第に社会から引き剥がされていった。自分から築いてきた人間関係を崩していく過程で、まともな判断ができなくなっていった。それこそが彼らの作戦だったのだろう。真っ当な人間との関係が1つ2つ...とガラガラと音を立てて崩れていった。当時付き合っていた彼女、バイト先のラーメン屋、大学の友人、アメフト部...。

僕の目の前からみんなが去っていった。
人がゴミのように溢れかえるあの東京で、僕はたったひとりになった。

我に帰った時には時すでに遅し。騙されていることに気づいた時には、大学4年秋だった。幸い、頭を下げてアメフト部には復帰できた。今思えば本当に感謝である。クォーターバックという攻撃の司令塔ポジションなのに、ろくに練習に行かず、ひどい選手だったが引退試合まで使ってくれた。関係者には頭が上がらない。

彼女やバイト先に取り返しのつかない事をしてしまったと自覚してから、自責の念でまともに人間生活ができなくなった。自分で酷いことやっといて、後になって自滅したわけだから自業自得だ。彼女には謝って復縁を求めた。なぜ復縁を求めたのか。それだけ人の気持ちというものがわからなかったためだろう。もちろん相手にはされない。今考えると、なんと愚かで非情な人間だったんだろうと、穴があったら入りたい気持ちだ。人の気持ちがわからないというのは罪だ。存在に値しない。社会のゴミだ。

結局、バイト先の方には1度も連絡できずに、後ろ髪を引かれる思いで東京を立った。

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サイズの合わない大きなクリーム色のヘルメットは拾ったものだ。正確にいうと、元々持っていたシャレオツヘルメットはスーパーで盗まれて、代わりにハンドルに掛けられていたものだ。代わりを置いていってくれたから怒りの感情は大きくなかったが、それでもダサさには腹が立った。買い換えればいいじゃないかと今になったら思うが、その当時はまた盗まれるくらいならダサいメットのままでいい、というようなフラれまくったメンヘラ女子のような感覚だった。このヘルメットだけならまだいいが、いやよくないんだけどね、プラス、風除け用のダサい伊達眼鏡をかけていた。メガネが悪い訳ではないんだよ、僕はメガネが激しく似合わないのだ。

4月の東京の朝はまだかなり寒さが残っていたが、ありがたいことに天気は良好。カブのメーターの針は時速45km付近でふらふらと行ったり来たりしている。国分寺から府中、八王子へと抜け、468号線を南下し相模原、厚木、平塚と約3時間かけて国道1号線に出た。

国道に出てしまえばもう迷うことはない。ずっと遠く遠くへ進むだけだ。ずっとひとりで、ずっとまっすぐまっすぐ進めばいいのだ。

こうして惨めな逃避の旅は始まったのである。目的地は1000km離れた、山口県下松市の実家である。1号線で大阪まで出て、そのまま2号を伝っていけば迷わずにゴールだ。東京から逃げるようにリトルカブに乗ってどこまでも進むのであった。

つづく 

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